
畳屋を継げなかった娘が選んだ道
畳業界との“距離”を作っていたあの頃
20年前、livedoor ブログでミニ畳<Joe>を発信し始めた当初、ご注文くださる方のほとんどが、なんと畳屋さんでした。
委託販売先の方からも「畳屋さんが買いに来てたよ」と聞き、驚いたのを覚えています。
正直に言うと、当時の私は予想外な出来事に戸惑ってしまいました。
なぜなら、私のミニ畳は──
「畳のある暮らしから離れてしまった人たち」や「畳が好きでも住環境で諦めている人たち」に、
もう一度畳を楽しんでもらいたい──そんな思いから生まれたものだったからです。
だから、「すでに畳に囲まれている畳屋さんが、なぜわざわざ…?」と、不思議で仕方なかったのです。
当時の私は、どこかで「畳屋さんとは距離を置いたほうがいいのかも」と感じていたのかもしれません。
けれど、Facebookを始めてから、少しずつ変化がありました。
それまでとは違う形で、畳屋さんたちと出会い、交流することができたのです。
気がつけば、私の中の“線”は、少しずつ、そして自然に薄れていきました。
廃業した父と、材料調達の壁
父が畳屋を廃業し、材料の入手が難しくなって困っていたとき、Facebookでご縁のあった大久保畳店さんが手を差し伸べてくれました。
新品だけど畳屋さんにとっては半端で使い道のない材料を、私のために直接届けてくださったのです。
ミニ畳しか作れない私には、それは十分すぎるほどの量でした。

2015年7月、大久保畳店さんが初めて我が家まで材料を届けてくださった日の記念写真。
畳の材料が届いた瞬間の嬉しさを今も鮮明に覚えています。
ネットからリアルに出会った畳屋さんとのご縁
そこからご縁はさらに広がっていきます。
お店にお邪魔して、いろいろ教えていただいたり、
またFacebookを通じて新しい畳屋さんたちと出会い、
本来の畳屋さんでない私が、たくさんの方に支えてもらえるようになりました。
イベントに声をかけてくれた小川畳店さんのおかげで、さらに大きな転機となるご縁も生まれました。それが、畳機械メーカー「東海機器工業株式会社」の当時の社長・内藤さん(現・顧問)との出会いです。
私の活動にも興味を持ってくださり、なんと畳の材料屋さんを紹介してくださいました。
そのご縁お陰で、今では必要な材料を安定して少量から仕入れられるようになりました。

2018年11月、小川畳店さんにお声かけいただき、
「畳でおもてなしプロジェクト」の一員として参加した
『第3回 横浜絹フェスティバル』。
畳業界のみなさんとご一緒できた、ネットでのご縁がリアルにつながった思い出深い一枚です。
ただ、この時は自分のことで精一杯で、
ワークショップのお手伝いが全くできなかったのが
猛省であり、今も心残りでもあります。
小川畳店さんには探していた材料を譲っていただいたり、奥さまにはウジウジ悩む私の話を聞いてもらったり。
葉本畳店さんには、メッセンジャーで図解まで添えてご教示いただいたり…
そして、大久保畳店さんが紹介してくださった株式会社いまいさん。
最大の悩みだった畳床の仕入れを受け入れてくださったことで、大きめサイズや量産オーダーも心配なくお受けできるようになりました。

2022年5月、ダイケンボードの引き取りに伺わせていただいた時の記念写真。
今井さんとのご縁は私が活動する上で非常に重要なパイプです。
い草農家さんや畳表の生産者さんとのご縁も
畳屋さんだけでなく、熊本のい草農家さんや畳表の生産者さんとも出会うことができました。
日本にわずか4軒しかない龍鬢表の生産者のお一人、山根商店さん(明治10年創業)とはインスタで直接お取引をさせていただくことができました。
世界遺産に奉納されたミニ畳<Joe>枚のうちの1枚は山根さんの龍鬢表を使った作品でもあります。
山根商店さんの龍鬢表を使ったミニ畳作品は、日本各地の神社仏閣への奉納だけでなく、人形専門店様にもご採用いただき、納品しています。
すべて山根商店さんの龍鬢表を使い、心を込めてお作りした北野神社様への特別な厚畳。
作品の写真やこだわりポイントなどを下記ブログにまとめていますので、よろしければご覧ください。

大正7年創業の老舗・忠義堂様へ納品したミニ畳。
明治10年創業・山根商店さんが、手間ひまかけてい草を
繰り返し天日干しして仕上げた「龍鬢表」を使用しています。
伝統的な素材と技法を活かした、
上質な和の美しさが際立つ特別な一品です。
卸にも対応できるミニ畳に
材料のこと、技術のこと、コンプレックスや悩みごと……
ここに書ききれないほどたくさんのことを、普通なら出会えなかったはずの畳屋さんたちに応援していただき、助けていただきました。
今では伝統の場や信頼ある専門店様や企業様へ、私の小さな畳が届けられること──
それもすべて、ご縁の連鎖がつないでくれた奇跡だと感じています。
安定して材料を仕入れられるようになったことで、お客様のご要望やシチュエーションに合わせたご提案の幅が広がりました。
その結果、生まれたのが、こちらのブログでご紹介している作品です。
感謝の気持ちを胸に、これからも
私は「畳業界の一員」と思ったことは一度もありません。
でも、本来なら畳屋とも呼べない私に、惜しみなく助けてくださった畳屋さんたちがいてくださったことに、心から感謝しています。
この章でご紹介しきれなかった畳屋の皆さま、そして陰ながら応援してくださっている方々にも、改めて深くお礼申し上げます。
もしネットの世界がなければ、私の活動はきっと続かなかった――そう言っても過言ではありません。
このご縁を大切にしながら、これからも“小さな畳”を届けていきたいと思います。